3度目の、ゲキハン
- 凜 志水
- 2024年9月19日
- 読了時間: 3分
小学五年生の時、クラスで演劇をした。
私は音響担当だった。
その劇はクラスの一人が作ったオリジナルストーリーを元にして、台本から演出、道具まで全部自分たちで考えて作るという、小学生にしてはとてつもなくクリエイティブな催しだった。
もちろん音響も例外ではなく、華やかな舞踏会の場面では「春のワルツ」をCD(ツタヤで借りた)で流し、キラキラとした効果音は電子ピアノに入っているパーカッションの音を使ってみたり。警官がやってきたシーンではメガホンを手に取り「ウ〜〜〜」と声を出すことでパトカーの音を再現した。
あまりに原始的な音作りに、本番では保護者席からくすくすと笑い声が聞こえていた気もするが、音の効果に反応してくれたことがかなり嬉しかったことを覚えている。
人生2回目の劇伴は、高校の文化祭。
この時はキャストだったので音響ではなかったのだが、劇中に楽器を吹くことになった。
演目が『アイーダ』で、私が家来の役だったこともあり、劇のオープニングとしてアラビアの軍隊っぽいラッパのファンファーレ(ソロ)を演奏してほしいとのことだった。
たった数十秒のフレーズだったが、自分が作った曲を誰かの前ではじめて披露した瞬間だった。めっちゃ緊張したことだけ、覚えている。
先日、東中野にあるポレポレ坐という場所で、『川と自転車』という映画作品に音楽を乗せるというライブ上映を行った。
この作品はもともと台詞も音楽もない映画で、はじめて観た時、色々な要素を削ぎ落として極限までシンプルにした映像に並々ならぬ考えや気概のようなものを感じた。
おそらく意図して削ぎ落とされたであろうものをあえて再びくっつけるという作業が、果たしてどこまで可能で、やっていいことなのか。バンドメンバー間でも色々話し合った。
普段ライブハウスでやっている生演奏みたいに観客を煽り立ててしまうと、映像のノイズになってしまうし、かといってこれまでやってきたいわゆる演劇に効果音やシーンを補強する音楽をつけるのも、違う。この塩梅が、一番の苦労ポイントだったかもしれない。
この劇伴について考えたり練習したりする中で、劇伴において音楽は単に演劇のストーリー展開に寄与するだけでなく、観ている人の情緒自体、つまり映像の見え方自体を誘導する力があるな、と思った。
(映画館で、本編が始まる前にいろんな映画の予告編が流れるが、あれはまさにその力を存分に発揮している。)
音楽のそうした面について、もちろん知っていたがそこまで深く考えたこともなかった。
例えば音楽を聞いて踊っている人がいれば、それはその音楽が好きだからテンション上がってるんだろうな、と軽く流していたし。
けれどもたぶんそれ以上に、音楽には感情を「誇大」させるパワーがある(坂本龍一が「音楽のチカラ」について言っていたことが、なんとなくわかった気もした)。
3度目の劇伴は、(周りの評価はともかく)失敗とか成功とかそういう言葉ではどうも表しにくく、でもとりあえずやってみていいのだろうし、今後もやっていきたいと思える体験だった。
またやりたいです。4度目の劇伴、やらせてください!
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