書かずにはやってられん
- 凜 志水
- 10月22日
- 読了時間: 2分
やっとブログが書ける。
ここ一ヶ月は多忙を極めた。はじめての育児である。今朝も爆裂ウンチ漏れ&ベッドシーツにおしっこをお見舞いされたが、だんだんと慣れてきてはいる。先ほど本日2回目の洗濯機を回してきたところだ。夜間授乳による細切れ睡眠で相変わらず頭はぼーっとしているが、なんかもう何かを書かずにはいられない感じになってきた。
夫は一ヶ月半の育休期間(マジで助かった、感謝)を終え、早速出張などが入って忙しそうにしている。仕方のないことだとはわかっていつつも、仕事後の会食や仲間との新しいプロジェクトの打ち合わせをしている様子を見ると、ぐぬぬ...と歯を食いしばっている自分がいる。今の私には、社会的な交友が圧倒的に足りない。ソシャみ欠乏症。妊婦の時は社会的なやる気自体が削がれるというか、基本的には「家でまったりしてたいよ〜」という状態だったのだが、産んだ後はやる気に満ちている。重い身体から解放され、何かが弾け飛ぶように自分のベクトルが外へ外へと向いている...向いているのだが、産まれたての子を育てるという環境がぐいぐいと後ろ髪を引っ張っている。
小さくて、とにかく生命維持に必死な存在を見捨てるわけにはいかねぇ!!という観念が一番にあるので、体力も気力もそこに全ベッドだし、やることがまあまあ多いので気がつけばもう寝る時間になって1日が過ぎ去っていく。片手間にできることといえば雑誌をちびちびと読んだり、ちょこっと絵を描いたりすることで、いまこうして文章を書けているのは子がいい感じに昼寝してくれているというラッキータイミングが訪れたからだ(サンキュー)。
育児にはもともと関心があったし、やること自体は大変だが苦ではなく、楽しくできている方だと思う。しかし私はやはり外で人と話したり、音楽を聴きにいったり、何にも気にせず街ブラしたりが好きなわけで、それが明らかに足りてないいま、自分の中で燃えたぎるような何か(それはどことなくダークなマターでもあるが)が溢れ出している。やりたいことのためには、好きなことを我慢しなくちゃあいけないのか。くそう。
もし私がバリキャリだったら、この欠けたものを欠けたと感じることもなく過ごせたのだろうか、などとも思うが、そもそも今の資本主義の形態には反対しているのだから現実味のない話だ。寝ていた子がモゾモゾと動き出したのでこの辺りで切り上げるが、自分の欲望と実生活とに板挟みになったその間からぬるぬる〜っと湧き出たものが、この文章である。




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