迫り来る「考察せよ」
- 凜 志水
- 2024年9月19日
- 読了時間: 2分
2024年は映画をたくさん観ようと思っていて、目標は月に3作品以上。
Netflixを退会してU-NEXTに入会するという強気の姿勢で挑んでいる。
なるだけ映画館にも足を運ぶようにしていて、今月は「悪は存在しない」を観に行った。
ストーリーに正解はないとわかっていつつ、あの描写は一体どういうことを意味していたのか、と友人たちと話し、ネットに飛び交っているあまたの意見に目を通す。
いろんな人の考えを聞きたいぜ、と意気込むと同時に、なんとなく息苦しくなってくる。
いわゆる、考察疲れ。
ストーリーの一貫性や表現方法の整合性などについて考えすぎると、途中から混乱してきて、
しまいには映画館に何をしに行ったのかわからなくなる。
作品から受けた第一印象とかがこぼれ落ちてしまっていることもあり、悲しい。
霜降りのせいやのYoutubeチャンネルに出ていたヒコロヒーが、インターネットの人たち(の考察は)すごいな、と言っていた。
自分のある行動について、特に何も意味がないのに、インターネット上ではこれはこういう意味がある!と盛り上がる様をみて放った皮肉である。
作品を調べているとついついレビューとかを読んで、みんなが熱く語り合っている様子を知ると、自分ももっと深く考察しなくては、正しい解釈に近づかなければ、と焦ってしまう気持ちがどこかにあるんだろう。
別にそういうふうに観なくちゃいけないわけじゃないのにね。
昨日だって「スターウォーズ9 黄色いライトセーバー」でググった。
なにあれ、という感覚を宙ぶらりんにしておけばいいものの、速攻で検索かけてしまった。
自分の侘しさというか、行間を読むのが苦手なのはこういうところから来ているのかもしれんと思うとやりきれない。
そんなら人の意見とか聞かなくていいやん、と言われそうだけれど、
さすがにそれはちょっとできないというか、
なんでもありはなんにもなしだからさ...。
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