美味しいと思わされてるやつ
- 凜 志水
- 2024年10月21日
- 読了時間: 3分
先日、ランチに定食を食べた。
そのお店は一日中栄養バランスのよい定食が食べることができる定食屋さんで、運ばれてきたお盆には麦ご飯、季節のお味噌汁、そしておかずがなんと8品も。
主菜はもちろん、小鉢に入ったお漬物や豆腐まで全てが美味しかった。
一つ一つの品の味付けだけではなく、全部を食べ切った後の満足感がすごかった。
満腹感ではなく、満足感。
単にお腹がいっぱいになったということ以外の何かが、この満足感に作用している。
なんだか、身体全体が喜んでいる感じなのだ。栄養、行き届いてるよッ!と全細胞が叫んでいるかのよう。
ああ、これが本当に美味しいってことなのかもしれん。
身体が本当に欲しているものをちゃんと摂取できている、という感覚。
新鮮な野菜や魚を食べた時も似たような感覚になる。
すーっと身体に取り込まれて、明日もまた食べたいな、毎日でも食べたい、と思う。
こういう美味しさによる喜びがハンバーガーやこってりラーメンといった、いわゆるジャンクフードからは得られた試しがない。
もちろん私はマックを食べるし、実を言うと昨日あたりからマックグリドルが食べたい。
でもこのジャンキーな美味しさは「刺激による圧倒」という感じで、栄養満点定食を食べた時の美味しさとは全然違う。
栄養満点定食の方を美味しいというならば、マックなどは美味しいと思わされてるやつ、という感じがしなくもない。
そもそも「美味しい」って、「愛」みたいに、結構ガバガバな表現ではないか。
美味しいって、辛いとか酸っぱいみたいに食べ物そのものの記述ではないし、何に美味しいと思うかは結局個人の好き嫌いに依存している。
にもかかわらず、SNSやテレビで、肉汁がえげつないハンバーグとか生クリームマシマシの揚げドーナツとかが「美味しいもの」として宣伝されている。
マックの三角チョコパイのCMも、チョコがとろーり溶けて、ウワ、これ絶対美味しいやん!と思わせるような魅惑的ビジュアルを叩きつけてくる。
逆に、野菜とかになると一気に美味しさからは離れ、健康志向、ヴィーガンなどのスタイルと結びつけられる。なぜ。野菜はとっても美味しいのに...。
食べ物以外でも、最近はなんでも刺激、刺激!な世の中なこともあり、今後一切ジャンクフードを食べません!ということはほぼ不可能に近いし、そういう制限を自らに課したくもない。
ただ、ジャンクはジャンクとわかったうえで、美味しいとはちょっとかけ離れた、たまの気分転換として取り入れるくらいが自分にはちょうどいい。
高刺激的音楽が正直イマイチなことがあるのと同様、高刺激な食べ物が美味しさとがっちり手を結ぶことができるとは思えない。
どれだけ「味が濃くテ、トッテモ美味しいヨ!」と言われても、私は私の求める美味しいを貫く。
味覚(taste)は、あくまでも自分の内側にある私的な感覚であるのだから。
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