神とかいってないで「好き」のヴァリエーション増やせ
- 凜 志水
- 5月9日
- 読了時間: 3分
今日はずっと食べてみたいと思っていた冷麺を作った。作ったといっても、スーパーで売ってる2食入りの、麺を湯がくだけで完成するやつ。空腹の状態でキッチンに立ったので、麺を冷ます余裕すらなかった。冷麺というよりぬるい麺が完成したが、美味しかった。
この間、インスタのリールで「明日引越しなのに荷物詰めてなくて死ぬ!」という動画が流れてきた。結局エナドリ飲んでなんとか乗り切ったよ!(何じゃそら)という主旨で、内容は普通にポップなものだった。しかし動画内で「部屋汚くて死ぬ!」とか「彼氏に呆れられて死ぬ!」とか、何度もご臨終されていて、言葉のデフレ化にビビり倒した。
今のスラングって結構いくところまでいってしまっていると思うのは私だけなんだろうか。
いい意味でも悪い意味でもすぐ「死ぬ」し、死ぬだけに飽き足らず「爆死」する。
テンションが上がった時に至っては、「神」...。ここまでくると、その次の言葉ってあるんだろうか。死ぬ以上にバッドな言葉、神以上に最高潮を表す言葉ってあるんかな?といつも疑問に思ってしまう。
今書いててふと思ったんだけど、Oh my god は割と昔からあるっぽい。時期的にかなり早い段階で程度の最上級である「神」がでてきちゃってる言葉だ。宗教上の理由によってgoshとかgoodnessに言い換えられることはあっても、それ以上の度合いを表現する言葉はやっぱgod以外ないんだろうか。えー、そうなると今日本で言われてる「この味、神〜」とかってあと何百年単位で残っていく言葉なのかしらん。「ぴえん」とか「ぱおん」とかの造語とは違って、「神」はどの世代にも普及している言葉だし、寿命長そう(そもそも神は永遠である)。
でも、もしさらに言葉の意味がデフレーションしていって、大したことでもないのに「死ぬ」とか「神」がもっと簡単に当てられるようになると、形容のヴァリエーションが希薄化していく気がしてなんだかなーとも思う。ちょっと話はズレるけれど、そもそも日本語の「好き」っていう言葉にはヴァリエーションが少ないと思っている。近頃は「推しがいるので恋愛には興味ありません」みたいなことをよく耳にするけど、そこって同じ地平じゃなくね?と毎回思ってしまう。趣味の対象として何かが好きなことと、人間として好きな人に恋をするというのは両立するし、全く種類が違う「好き」なのに...。まるでプロフィール帳に「わたしのすきなものは〇〇!」って、一つしか書けないようになっているみたい。現実はもっと多角的なはずだ。
別にスラング自体が嫌いとかいうことではない。ただ、自分の昂った気持ちを「神」とか「尊い」みたいな表現で全部済ませてしまうと、感情のいろんな面を見落としている気がする。私は言葉は世界だと思っているので、なるべく豊かな表現を使いたい。まあ実際はそれが鬼ムズイんだけどね。
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