ネオバターロールを焦がさない方法
- 凜 志水
- 2024年12月26日
- 読了時間: 4分
ある日、ネオバターロールが食べたくなった。やわらかくて少し乾燥したパン生地の、ふぁすっとした食感と、中でとろけるマーガリンのコントラストを売りにしているあのパン。
しかしあのパンを上手に食べることができた試しがない。トースターで温める時にどうしても上の方が黒く焦げてしまう。
ネオバターロールを焦がさない方法としては、二種類あると考えた(そもそも焼かない、は無し。マーガリンには溶けてもらわないと困る)。まず第一に、トースターに入れる前にパン自体を潰してかさを低くする、という方法。しかしこれは...なんというか...ネオバターロールの良さをも潰してしまうような気がする。あのエアリーな食感を楽しみたいのに、ぺちゃんこにしてしまったら、他のパン(極論、サンミーとか)でもいいことになってしまう。
そんなのは、よくない。
そして二つ目の方法は、ネオバターロールに合ったトースターを導入する。我が家のトースターは、近所のホームセンターで安くで買った簡素なものだ。内部の空間が狭く、パンを置く網とヒーターとの距離がとても近い。他の種類のパンでさえ気を抜くとすぐ焦げてしまうのに、ネオバターロールならなおさらだ。トースターについていろいろ調べていると、やはりロールパンを焦がさずに温めることができる技術を搭載した、非常に優れたトースターがあるらしい。だが、もちろん値段は高い。
ところで先日、本屋B&Bにて行われた岡野八代さんと重田園江さんによる対談をオンラインにて聴講した。トークテーマは今話題の「ケア、ケア倫理」についてで、私自身はケア倫理についてほとんど知識がないのだが、ケアと政治との関わりについては無視できないと思っている。お二人ともアーレントについて詳しいこともあり、どういう議論がなされるのか、興味深く拝聴した(1/1までアーカイブが販売されているようです、気になる方はぜひ)。
その中で重田さんが、不登校児が年々増加していることについて、「学校というシステムそれ自体がもう無理になっている」という趣旨のことを述べていた。それを聞いて、確かに学校教育のシステムって明治時代から始まってはいるが、あって当たり前のシステムでもないよなーと思った。できて200年も経っていないくらいだし。
ネオバターロールに話をもどすと、重田さんは「早く新しいトースターを導入せよ」と言っている。トースターに合わせてパンを潰すより、パンに合わせてトースターを変えていかないとダメだということだ。これまでの日本教育は、優れた工場労働者を育成するために機能してきたといえる。規則正しい生活リズムで、決まった時間に決まったことを集団的に行う力を養成する場。古いトースターは主に食パンを焼くことを想定して作られているし、また逆に、社会で求められているのはかさの低い食パンだった。
しかし、サービス業をはじめとするさまざまな市場がある現在、工場型の一律化された生活リズムを是とする学校教育のシステムそのものが、もう時代に合わなくなっているということなのだと思う。今や私たちの食卓でトースターに入れるのは、食パンだけでなくバターロールやクロワッサンを含めたいろいろな種類のパンである。そうしたバライティ豊かなパン全てを焦がすことなく、さらには無理に潰すことなく温めることができるトースターこそが、現在あるべきトースターの姿である。そして、新たなトースターを開発し、それを市場に浸透させるには高度な技術と多額の費用が要される。日本の教育制度を担っている機関は、こうしたことをわかってるんだろうか。不登校児が増え、教員数も激減しているのは目に見えているのに、費用をかけて高度な教育システムを作ることに渋っている場合なのか?
私はきっと、今のトースターが壊れるまで新しいトースターを買うことはない。
数日間、パンを温められなくたって平気だ。
でも教育は違う。壊れてからじゃあ、遅いのだ。
文科省よ、バルミューダを見習ってくれ。
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