チェーン店の温もり
- 凜 志水
- 2024年12月16日
- 読了時間: 3分
数年前、友人たちとファミレスに行った。
その日は人間関係でちょっとしたトラブルがあり、朝から集まって色々話し合わなければならず、気づいたらもう夜中になっていた。
私たちは、精神的にも体力的にもかなり疲弊しきっていた。
帰り際に少しお腹が空いた、と話していたところ、ちょうど通りがかりにジョイフルを見つけたのだった。
ガラスの押し扉を開けると、少し古びたチェーン店特有の、なぜか見てもないバックヤードの状態が一瞬頭をよぎるあの独特な匂いが鼻を通る。蛍光灯が白くて眩しい。
カラフルだがどの色の名前もわからないソファーに座る。
周りを見ると、思ったより客がたくさんいる。
こんな時間に店に来ているのは私たちだけではないのだ、と思った。
そんなの当たり前だ。しかし自分たちについて起こったことに集中していたあまり、この世界には傷心した私たちしかいないという気分になっていたのかもしれない。
改めて店内を見渡す。ハンバーグを食べる若いカップル。パフェを食べながら大声で話す高校生。ドリンクバーで待つおばちゃん。
自分たちはいまファミレスを利用しているこの人たちのうちの一員で、それ以上でもそれ以下でもない。そのことだけで、なんだか安心した。
深夜のファミレスはたいていベテランのホール店員がワンオペで店を回しているが、このジョイフルも例に漏れず、中年の女性店員が忙しなくポテトを運んできた。
さっき席を案内してくれた時も、また仕事が増えた、と言わんばかりのめんどくさそうな表情であったが、仕事が板につきすぎて対応が完璧だった。
その時、心底「ありがたい」と思った。
システムによってなされるサービス。
人の気持ちなどお構いない。店員のめんどくさい気持ちも、客の傷ついた気持ちも、あるかないかわからないくらいの扱われ方をされる。通常、心のこもったサービスは善とされていて、それはそうだと思うのだが、一方で心をこめたサービスというのはする側もされる側も結構消耗する。元気がない時とか、そっとしておいてほしい時、自分はそういう素敵なお店にはいけない。しかしシステムで構築されたチェーン店は、ほっといてくれる。この無関心さが、心地いい瞬間がある。
これについては逆の観点からポッドキャストで話したこともあるが(荒野radio 松屋事件の回を参照)、このファミレスを訪れた時は、システムに救われる人は少なからずいるということを身をもって感じたのだった。
ところで先日、生まれて初めてジョリー・パスタに行った。30近い年齢になって、まだ行ったことのない有名チェーン店に行くことができるという事実になんとも言えぬかけがえのなさを感じてしまい、心は泣いていた。
ジョリパ人気No.1のモッツァトマト、美味しかったっす!
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