スナフキンに、ならなきゃ
- 凜 志水
- 2024年9月19日
- 読了時間: 3分
今日の23時に配信が終了するということで、映画『Trainspotting』をはじめて観た。
サムネだけでは主演がユアン・マクレガーだと気付いていなかったので、"ピチTのオビワン"という衝撃にファーストインプレッションが全て奪われてしまったことはさておき、心がざわついてしまった。
そもそも、ドラッグや酒に溺れる人間の描写が結構苦手なのだ(じゃあ観るなよ、というツッコミは無しで)。
今でこそこれはフィクションだ、と割り切れるようになったものの、実際のところかなり本気で「明日は我が身」と思ってしまう。
今日まではたまたま運が良かっただけで、明日突然受け入れ難いくらいショックな出来事が起これば、きっと自分は耐えきれなくなって、どこかに依存先を求めてしまうだろう。
それがお酒とか(全然飲めないのに)、なにか違法なものになる可能性は拭いきれない...。
ほんと、想像するだけで胃がズーンと重くなる。
こう考えてしまうのは、あるトラウマによる。
きっかけは、通っていた保育園に置いてあったムーミンの絵本だ。
タイトルは忘れてしまったけれど、ある一本のワインによって、ムーミン谷の住民たちがみなベロベロに泥酔するという内容の話で、当時の私はめちゃくちゃ恐怖を覚えた。
もし自分の周りの人が全員へべれけになってしまったら、どうしよう。
悪魔の魔法によってみんなが狂ってしまったという設定ならまだ物語のなかの話だと思えたかもしれないが、ワインというあたりがリアル(さすがムーミン)。
人って(いやムーミンは妖精なんだけれども)こんなふうにおかしくなっちゃうの。
5歳、初めて覚えた絶望。
しかしムーミンパパやママでさえ、もっとお酒をよこせ!と狂乱している中で、唯一酔っていなかったのがスナフキンだった。
確か最終的にはシラフのスナフキンが一人でみんなを介抱して、谷に平和が戻る、みたいな終わり方だった気がするけれども、お話が一安心かどうかはどうでもいい。
とにかく私は強く思った。
スナフキンに、ならなきゃ。
理性信仰の爆誕である。
有事が起こった時に冷静に対応できるスナフキンのような人にならなくてはいけない、と思いたって、わりと真面目にこれまでの人生を通過してこれたことを考えれば、あのストーリーを児童書として考えた人の思惑は成功している。
一方、その本が怖すぎて保育園から帰宅したのち、親の前で大号泣したあの経験はトラウマ級に自分に染み付いていて、自分の行動の根源はすべてこの恐怖からくるものとも言えるほどだ。
(さらに、私の親はムーミンが大好きで家にグッズがたくさんあり、それを目にするたびにあの恐怖が蘇るという試練つきだった。)
怯えさせることによって躾ける教育の、是非よ。
今となっては感謝しているけれど、でもまだ本当はどこかずっと怯えているような、苦い、キリキリとしたあの感じ。
そういうことで、『Trainspotting』はあんまり後味がいいとは言えなかった。
いや、映像や音楽は存分に楽しめたけどね!
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