ちゃんぽんのおかずになる話
- 凜 志水
- 2月2日
- 読了時間: 4分
更新日:2月2日
梅田にあるリンガーハットのカウンター席で、野菜たっぷりちゃんぽんを待っていた。
近頃、胃が小さくなったのか食が細くなってしまって、あまり外食に行かなかったのだが、この日はどうしてもたっぷりの野菜とちゃんぽんが食べたかった。リンガーハットって結構量が多くて、ちゃんぽんだけでも食べ切れるか不安なのに、なぜだか餃子までセットにしてしまった。これはさすがに頼みすぎたかも...。飲食店でのお残しはなるべく避けたい。
「最近、全然食べれんようになってしまったわ」
隣の席に座っていたおじいさんが、(おそらく)友人であろうおばあさんにぼやいている。
食べれんようになったわりには皿うどんと餃子炒飯セットというなかなか強火なセレクトだが、どうやらこのおじいさんはレストランでの大盛りが大好きだったようで、自分の胃が大盛りを許容できなくなってしまったことがショックらしい。胃袋縮小仲間、ここに発見。
「もう年やからね...」「ほんまにね...」
このお年寄り特有のテンポ感、どこかで聞いたことあると思ったら、友近とロバート秋山がやっている早朝のご老人のモノマネにそっくりだ。特におばあさん。友近はこの人をモデルにあのコントを考えたんかもしれん。
そんなことを考えているうちに、二人の会話のテーマはどんどんと変わり、近所の人の息子の話や、友人の病気の話、そして昨日行われていたフジテレビの記者会見の話になった。
「昨日の会見、見てしまったわ。えらい長い時間やってたなぁ」
「すごかったな。でもあの記者たちがしつこくて、もう途中で見るの嫌になってしもた」
穏やかなテンポはそのままに、意見の鋭さが増す。記者がフジテレビをいじめているような雰囲気だったとか、中居は自分の家庭環境で苦労していたらしいとか、被害者の女性はお金をもらっているのになんでわざわざ騒ぎを起こしているのかわけがわからない、などなど。
おぉ、リアルな声だ。私もその問題については関心があってネットニュースを読んだり、フジテレビの会見もテレビで見た。SNSでの色んな意見も、少しだけ見た。自分の考えとは全く違う意見も沢山あり、うーん、とか、え〜?とか思ったりしていて、この二人の意見にも正直賛同できなかったのだが、その会話には一貫したスタンスがあることがわかった。
それは「荒波を立てない、事を大きくしない、周囲に迷惑をかけない」ことが最善だ、という「穏便」思想だ。会見での記者のしつこい態度をいじめのようだ、見ているとしんどくなる、という意見はSNS上でもかなり多く見られた意見だったように思う。さらに、示談金をもらってその場が一旦落ち着いたのにわざわざ事を大きくする必要がない、というような発想も「穏便」からくるものなんだろう。
素直に、なるほどなーと思ってしまった。確かに会見での記者たちの態度については賛否あるだろうが、私はあの会見をいじめとは思わなかったし、記者たちとフジテレビの間の空気が悪くなることなど、何が事実であるかを突き止める場においては当然のことと考えている。たぶん職業柄、意見の対立を目の当たりにすることは慣れっこで、空気の悪くなる議論は結構見てきているので、私にそういう耐性があることは間違いない。でも、そもそも言い争いとか嫌いな人にとっては、あの会見の雰囲気そのものが苦痛だったのかもしれない。なんだか胸がざわざわして、一刻も早くこの状況を脱したいがために、場の空気を乱す原因に対して否定的な言葉を浴びせる。この社会では世論によって被害者と加害者のイメージのすり替えがよく行われる(痴漢はされる方が悪い、など)のにはこういう要因があったのか。
それにしても、ある社会問題を解決しようという立場と、その場の空気や周囲への迷惑を第一に優先する立場とは、決して両立しない立場ではないと思うのだが、一方が(とりわけこの国においては後者が)大きいがゆえに、もう一方の立場が嫌もの扱いされているのが現状なのかも。この相入れなさ、どうすればいいんだろうか。ううん...。
ぐだぐだ考えているうちに、気づけば私の野菜たっぷりちゃんぽんはあと4分の1ほどの量になっていた。思考は箸が進む。
ちらっと隣をみると、おじいさんは綺麗に3品完食していた。食べれるんかーい。
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